助人の横顔
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助人の横顔

経歴

1964年

茨城県古河市生まれ
空間奏者・作曲・ピアニスト、70 年代の洋・邦楽に影響を受け20才から独学でピアノを弾きはじめる。 その後、ストリートでの演奏、音楽家との交流、ミュージカルをはじめ 幅広いジャンルの作品を通し、独自の世界を創り上げる。

繊細なタッチで奏でられるインプロビゼーションの世界は必聴の価値あり!

1999年 秋より本格的に演奏活動を開始。
2004年 マザーアース実行委員会主催の「Love you Forever」のピアニストとして抜擢。
2005年

「マザーアースコンサート全国ツアー」にメンバーの一員として全13ヶ所の助人を務める。現在、比嘉ひろ音のピアニストとして全国各地で演奏活動を展開。

また、さまざまなミュージシャンのサポートに徹し、栃木県を拠点に演奏活動を展開中!

2007年 マキシシングル「メリーゴーランド」をリリース予定。
現在、両親と共に栃木県南那須在住
2008年

マザーアースいのちの電話活動支援コンサート(Love you Forever)のピアニストとして参加。

Written by Luna

主な助人列伝

1999年

秋より比嘉ひろ音の伴奏者として活動、現在に至る

2004年 マザーアース実行委員会主催の「Love you Forever」のピアニストとして抜擢
2005年

「マザーアースコンサート全国ツアー」にメンバーの一員として全13ヶ所参加

2006年 Voice主催の[牛島正人ヴォイスレッスン]に即興演奏・空間奏者として参加

あなたを感じ奏でる音色、世界でたった一つのあなたのためだけのCDを制作します

 

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My History

道程

S39.2.27(1964.2.27) 茨城県古河市、生後間もなく栃木県へ、現在も栃木県在住

 

幼少の頃~ 子供時代

ウルトラ・セブン、仮面ライダーをリアルタイムで体験し、精神的にも肉体的にも多大な影響を受ける。その当時、楽器演奏などはできなかったが、上記、特撮ヒーロー物の主題歌のかっこ良さに魅了され、自分の頭の中で、パクリに近い、作曲を始める(現在も覚えているものが幾つかある)。及び自作の曲を歌いながら、上記ヒーロー物のパクリに近いヒーローを造り出し一人芝居(遊び)を始める。

 

小学校~ 中学生

アイドル及び音楽番組が、はなやかだったが、学校での授業同様、流行(はやり)ものには、興味が湧かず、TVではNHKの"ドラマ人間模様"、向田邦子作品他など楽しみにしていた。少数派だった。

 

高校

突然TVの"ザ・ベストテン"などの音楽番組に興味を持ち出す。
邦音から、洋楽の方へ関心が変わって行く。
時に、スティービーワンダー、ビリージョエルに多大な影響を受ける。
同級生達が、バンドを結成するというので自分も何かやりたいと参加を希望したが 「お前は背が低いから駄目だ」と言われ。この当時はまだ何も弾けない!!
音楽は身長でやるものだと、その時知る!
高校が男子校だったという理由から、全く、やる気が起こらず3年間の欠席日数が、在校生の中でワースト1だった。「このままでは卒業出来るかどうかわからないぞ」と担任に三者面談で脅かされ、結果一応卒業は出来たが、この時のストレスから、その後も幾度となく悪夢に悩まされる事となる。

 

上京

洋楽への傾とうから、英語が、しゃべれる様になりたいと外国語の専門学校へと、わざわざ東京まで上京するも何とも言いがたい違和感を感じほとんど出度しないまま2年間を終える。10代の頃より、くすぶっていた、音楽を演りたい、ピアノを弾いてみたいという欲求が押さえきれず、周囲の冷笑の中、20歳の時にピアノを始める。
音譜や音楽理論など全く無知だったので、近くの音楽学校に当初、通うも、一向に上達せず、「ピアノは向いていない」と言われ、一時、挫折、周囲からも「柄にもない事は、よした方がいい」と説得される。

 

帰郷

25歳の時、栃木に戻り、また、ちまちまとピアノを触わり始める。
JAZZに興味を持ち、知人の紹介から、地元で活動するピアニストにJAZZを教えてもらうも、あまり才能がない等の発言をされ二度目の挫折。

 

その後

幾度となく、これで音楽は止めようと思ったが、それでも、どうしても捨てきれず、独学で学び始める。その後も、挫折、復活を繰り返し、出口の見えない悶々とした日々から、早く、脱け出したいという気持ちから、精神世界なるものに救いを求めて行く。 そんな中、29歳の時に、当時、フイラというニューエイジ系の雑誌で、スーザン・オズボーンの特集記事を読む。また、その記事を書いていた牛島正人氏に興味を持ち、氏のヴォイス・トレーニングなるものを受け、また多大な影響を受ける。

 

現在

その後、牛島氏の紹介で、野口雨情を主人公にしたお芝居の生演奏に参加した折(※プロとして最初の仕事)、音楽に取り組む姿勢など自分の認識の甘さを痛感すると同時に、音楽家としてのイロハを伝授される。この時を、契機に、路上演奏など人前で、音楽を始める。 それから、しばらくして、また、牛島氏より比嘉ひろ音という稀代の歌手を紹介される。

1999年より本格的に、比嘉ひろ音氏との活動(伴奏)を始め氏の住まいのある仙台を中心に自宅を開放した"お座敷ライブ"なるアットホームなものから、病院やしせつ、お寺、~マザーアースと名うった、全国ツアーまで、地道な、活動を続け今日に到る。

 

省みて

一つ、人の意見に左右されては、いけないという事。→ただ、愛あるアドバイスは素直に受けましょう。そこに愛があるかどうかは自分で判断できる様に訓練しましょう。

一つ、とりあえず、あきらめなければ、神さまも鬼じゃないので、どうにか、面倒を見てくれるという事(チャンスをくれるという事)。

一つ、人との出会いは大事だという事。私の場合は、そこだけで、今まで、どうにか、生きてこれました。

一つ、その後の人生を右左する様なチャンスが来たら、必ず、モノにする事、逃がすと、今度、いつ来るか、わからないので…。

それでも、これまでの幾度かの挫折や、生まれながらの劣等感などの要因からか、今だに、音楽止めます病が周期的に起こってきますが、仮りに、私が止めても、誰も同情してもくれないでしょうから、悔しいので、絶対、止めないと思います。バカみたいだし…。

 

最後に

音楽は身長で奏でるものではないと思います…笑
ただ、10代の時に、背が低いという理由だけで、バンド仲間に入れてもらえなかったという屈辱が、反骨精神となって、今日までやってこれた原動力となっていると思うので、どんな経験も全てより良くなるための道程なのだなと思います!!

 

想い

私が演奏するのが当たり前のような錯覚に陥ったときふと聴こえて来る言葉「人はそれぞれいろんな想いを秘めてここに来ている、そのことを忘れるな」演奏後に自問自答「ちゃんと思いを感じ取って弾けたかな?」私が観えてるものは私を取り巻く世界のほんの一部分に過ぎないかもしれない、それでもこれからも弾き続けていくと思います。
ピアノを弾くことが私を支えてくれるたくさんの人の想いに応える唯一の方法だから。

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